Audi mania [アウディ マニア] 〜クールなフリして心はあついぜアウディ!〜 あなたのまだ知らない「Audi」の魅力をあつく語ります

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DKW デーカーヴェー


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■ アウトウニオンの中心的存在であったDKW デーカーヴェー

1932年に結成されたアウトウニオンは、
アウディ・ホルヒ・ヴァンダラー・DKWの4社で結成されました。

その4社の中でも中心的な存在だったのが、「DKW デーカーヴェー」。
Audiアウディの歴史を語る上で、絶対に外せないポイントです(ワクワク)!

創始者は、”イェルゲン・スカフテ・ラスムッセン”、、、噛みそうです(笑)。
1878年にデンマークで生まれ、ドイツで機械工学を学んだ彼は、
ライン地方で修行を重ねる事となりました。

そして、1904年に現在の旧東ドイツ南部に位置する都市「ケムニッツ」に
ボイラー関連の会社『ラスムッセン&エルンスト有限会社』を友人と共に設立しました。

26歳にして企業家になったんですよね。
凄いハングリー精神の持ち主だったんでしょう。僕も見習わなくては!

ケムニッツ地方の企業家として力を付けた彼は、わずか2年後の1906年に
同地のゾッパウ機械工場を手中に収めることに成功したのです!
今で言うホリエモン状態ですよね(笑)。M&Aをしちゃった訳です。

3年後の1909年には
『ラスムッセン&エルンスト・ゾッパウ=ケムニッツ機械付属品器具製作所』
という、とっても長い(笑)社名に変更。

また、その3年後1912年には
『ゾッパウ機械製作J.Sラスムッセン』と、またもや改称するのでした。

ラスムッセンは当初、機械や金属製品に製造販売を主な業務にしていたのですが、
数年後に世情を反映して軍関連製品に方向転換することとなり、
それと同時にエンジンにも大きな興味を持ち始めるのでした。


■ ”DKW=蒸気自動車”、、、え!蒸気なの?

急速な工業化が進みつつあった当時のドイツは、
連邦の統一によってアメリカに次ぐ世界第2位の工業国へと成長していた。

国内の消費能力を大きく越えてしまったドイツの工業製品は
その販路を拡大するべく、世界各国へと進出することとなり、
フランスやイギリスといった近隣諸国との利害衝突は避けられず
一触即発の状態に陥ってしまったのです。

そうしたヤル気満々(笑)の状況の中、
1914年6月に運命のオーストリア皇太子暗殺事件が起こり、
ご存知、この一件が引き金となって第一次世界大戦が勃発したのである!

オーストラリアと同盟関係にあったドイツは、戦争の渦中に巻き込まれるが
皮肉にもラムスッセンの事業は、この戦争によって大きく前進することとなる。

あなたが大好きなドイツ車メーカーは、この様な戦争を乗り越えて
現在の素晴らしい自動車産業を築いているんです。
「戦争と自動車」は決して切り離すことはできないんです。

ラスムッセンは対戦による深刻な燃料不足の体験を元に、
この時期にスティーム・エンジン付きの自動車を試作しています。

しかし、ガソリン・エンジンが無かった訳ではなく、
既に飛行機でガソリンエンジンは実用化されており、
自動車にも1900年頃から搭載され始めていたのです。

では何故ラスムッセンはスティーム・エンジンを研究したのか。

↑で記しましたが、ラスムッセンはボイラー関連の仕事をしてましたよね?
ほら、とっても長い会社名を付けて(笑)。
だから蒸気機関は十八番(オハコ)だったんでしょう!

がしかし、ドイツが敗色を濃くするに従って研究コスト等の問題により、
蒸気機関の研究開発を中断せざるを得なくなってしまったのです。

だけど、そんなことでダメージを受けている様なラスムッセンではありません!

彼は”蒸気自動車=Dampf Kraft Wagen”の頭文字である
『DKW』を会社のエンブレムとして残して、蒸気機関と並行して進めてきた
もう一つの可能性の実現を夢見て、研究試作に邁進するのでした!

気になる「もう一つの可能性」とは、、、?


■ 頑固一徹?『2サイクル・ガソリン・エンジン』

1919年にルッペという技術者の玩具用エンジンの設計図の提供を受けたのを機に
「これを実用化させる!」と研究に没頭した彼は、間もなく小さいながらも
18PSの出力を得る2気筒・据え置き型エンジンの試作に成功したのでした。
後に世に送り出されるDKWのクルマは、2サイクル・エンジン一筋!


その技術の基礎は第一次世界大戦の渦中で芽生え、
対戦末期には、かなりのレベルまで煮詰められていたのです!

開戦当初は優勢的にだったにも拘らず、
連合軍の包囲と経済封鎖によって孤立していったドイツは
国内で革命が巻き起こり、内部から崩壊してしまう。

それにより、1918年には国家として機能しなくなってしまう。
外側の攻撃よりも、内側の仲間割れによって崩れていく。
これは、いつの時代にも起こる宿命なんですね、、、。

すぐさま休戦協定が結ばれて、国内には新しい共和政府が誕生するが
敗戦国となってしまったドイツには、言うまでもないですが
極度の経済困難が待ち受けていたのです!

植民地や重要な領土を失ったドイツに対して連合国側から突きつけられた
賠償要求がドイツ国内を極度のインフラへと突き落とし、
これにより、国民生活は大打撃を受けたのです。

多くの企業も同じように打撃を受け、中には消滅していくモノもありました。


■ もう一つの脅威!Mr.アメリカ

幸運にもラスムッセンの会社はその荒波を乗り越えることに成功しているが、
ようやく芽吹きだした自動車メーカーを見ると、状況は悲惨なものだった。

そして、輪をかけるように「今がチャンス」とドイツ国内に進出を企む
アメリカの自動車メーカーの脅威に真正面から応戦しなくてはいけなかった。

フォードやGMは、まずドイツ国内に組立工場を作り、
その次に製造工場をを進出させるという方法で
ドイツ国内での陣地の拡大を図ったのです。

当時のアメリカ車は、スタイリングは当然ですが、
生産方式において欧州車より圧倒的にリードしていたのです。


第一次世界大戦により、自動車の開発がストップしてしまっていたドイツに対し、
アメリカは着実に進化していたのでした。

1924年から1928年にかけて沢山のアメリカ資本が流れ込み
共和国となったドイツの経済を大きく刺激しました。
それを機にドイツ車メーカーも生産施設を拡大したり健闘し、
1928年以降は生産台数も少しずつ、向上しています。

だが健闘むなしく、アメリカ車は効率のよい生産方式を武器に
技術的に素晴らしい商品を安価で世に送り出し、
ドイツ車は足元にも及ばなかった。

こうしたアメリカ車との競争力を高めながら、
国内の需要も増やしていかなくてはならなかった多くのメーカーは
とても苦しい立場にあったのです。

その問題を解決するための策として業界の統一という
ショック療法が採られ、1924年には71社もあったメーカーが、
翌年の1925年には、たった19社にまで整理されています。

それ以降も整理&統合の荒治療は、さらに強まっていくのですが
そうした機運の中から誕生した企業連合体がアウトウニオンなのです。


■ Das Kleine Wunder=小さな脅威

ここで、ちょっと話を前に戻します。
研究試作の甲斐あって、ラスムッセンはDKWの自動車用2ストロークエンジンを
1920年に完成し、スラビーベリンガーというプロトタイプに搭載されました。

このガソリン・エンジンは25or40ccという極小(極妻ではなく(笑))排気量
パワーもありませんでしたが、モーターサイクルには救世主となりました!

同年、自転車に取り付ける小型補助エンジンの生産を開始したラスムッセンは、
この補助エンジンで、会社を大きく成長させています。

”Das Kleine Wunder=小さな脅威”
という意味を込めて、DKWという名称で発売されたエンジンは、
何より低価格である事と、シンプルな構造、しかも
クランク・シャフト1回転ごとの爆発による高回転と高出力(1psだけど)
を特徴とし、当時の社会にピッタンコ!となり爆発的な人気を手に入れます。

このエンジンを搭載した自転車の主な購買層は、
苦しい経済状況の中で自動車の購入を嫁さんに反対された人々でした(笑)。

オープンカー欲しいけど「TTロードスター」は高いし、維持できないから
ダイ○ツの○○ンを買っとこ!、、、ってな感じかな?
コ○○は日本の自動車産業にとって、充分に小さな脅威となり得ます。

この自転車用補助エンジンの大成功を、さらなる飛躍のバネとし、
ラスムッセンは本格的にモーターサイクルの市場へ進出していくのでした。

販売営業部長にカール・ハーンが加わったのは1922年のことでした。


■ 当時、増産に次ぐ増産で急成長を見せた唯一の例外「DKW」

自転車2ストロークエンジンの成功を軸に
ラスムッセンは事業の本格的な拡大を図ります。

第一次世界大戦という、とても大きな荒波を乗り越えたDKWは
地元ザクセン州では当然ではあるが、有名になっていた事もあり、
ザクセン州立銀行は事業拡大のため融資や協力を惜しむ事はありませんでした。

銀行というムッチャ強力なバックボーンを得たラスムッセンはまず、
自転車用エンジンを発展させたモーターサイクルと作り出します。

1926年頃から、200、250、300、そして500ccの空冷2気筒エンジンを搭載した
モーターサイクルが生産され、徐々に市場を手中にしていきます。

1927年には早くも27000台、その翌年には驚く無かれ
43000台ものモーターサイクルの生産を行っているのです。

こうした大成功を背景に、ラスムッセンは四輪自動車の本格的進出を決定し、
自動車部品の生産拠点としてツォーブリッツ金属工業とフランケンベルグ金属工業を
1926年に設立し、モル工業、ロータ株式会社などの部品メーカーの吸収を行い
しっかりとした下地づくりを行っています。

DKWの傘下には、自動車メーカーや部品供給メーカーに加えて、
冷蔵庫や飛行機メーカーまでが収まっており、16もの企業と
15000人もの従業員を養う一大コンツェルンに発展していたのです!


ラスムッセンに驚くほどの経営能力と、リーダーシップがあったことと、
彼の事業がいかに順風満帆であったかが感じれます。

この時点でモーターサイクルを主力商品に置いていたDKWには、
その注文が息つくまもなく舞い込み、工場は増産に次ぐ増産の体制を取るほどでした。

このような嬉しい事態にみまわれていたDKWは、
冬には労働時間を短縮せざるを得ない状況だった当事の自動車産業にとって
唯一の例外、異端児だったのです!


■ 息つく間も与えない、ラスムッセンの買収コンボが次々と炸裂!

続く1928年に、ラスムッセンはケムニッツのシュトフ・エンジン工場を吸収、
さらに、名門自動車メーカーである「アウディ」の株の大半を入手、
ベルリン地区スパンダウのドイツ自動車工業株式会社の買収、
そしてアメリカのリッケンバッカー自動車会社の工作機器と図面の購入等を
相次いで行っています。ホント息つく暇もないですね(笑)。

あまりにも矢継ぎ早の事業拡大には驚かされたと思いますが、
当時は世界的な大恐慌の前年のことであり、徐々に弱ってきていた
自動車工業の中小メーカーを買収して手中に収める事は、
以外に簡単だったのではないか、、、と、言われています。

がしかし、自動車産業全体が弱っていたからと言ったって、
会社を買収する事は、生半可な力で出来るものではありません!
ラスムッセンの行動力と決断力には、敬意を感じる程です。

アメリカのリッケンバッカー自動車会社から
工作機器類と設計図面を買い取った件について
ラスムッセンは、次ぎの様に語っています。

「今やドイツ車が世界市場へと進出するチャンスが訪れた。
外国車の攻勢に対する競争力を強めておくことが当面の急務だ。」

またツイッカウにあったアウディの株の大半を買い占めたことによって、
役員としてアウディの経営に関わり、事実上傘下に収めた事実
(当時先行き不安定であったアウディの危機を救ったと読める)は、
これからのDKWの企業活動に大きなプラスとなっています。

リッケンバッカーやアウディの一件によって
ラスムッセンのゾッパウ自動車製作所の格が一気に上がり、
ザクセン州の他の自動車メーカーに対して大きなアドバンテージを与えた事は
言うまでもありません。じゃ、言うなよってか(笑)?


■ ホルヒ(ホルヒ/アウディ創業者)と、ラスムッセン(DKW創始者)。

ここらで少しコーヒーブレイク(笑)。

アウグスト・ホルヒが、お金に無頓着な純粋な技術者・職人だったのに対し、
ラスムッセンは技術革新と商売・経営というまるで”水と油”のように
混合できないモノを、上手くブレンドできる才能を持つ人物でした。

”課長”と”部長”の仲を取り持つ”部下(優れた)”。
といった所でしょうか(笑)。

当然ながら、世の中の状況やニーズを誰よりも早く感じ取り、
自らの会社の業務として発展させていくリーダーシップにも長けています。

市場は、単純で信頼性の高い内燃機関を欲しいとしている、、、
と察知し、2ストローク・エンジン研究開発に着手
そして見事に手中に収め、大成功に至った経緯は上記しました。

が、それに伴って、動力付き自転車やモーターサイクルの製造を開始して
普及に努めたことなども、ラスムッセンならではの仕事だと特筆しておきます。

しかし、今まで記した彼の輝かしいと思われる業績は、
ラスムッセン本人に言わせれば
「ホンの序の口さ!」、、、だそうです(笑)。

と言うのも、心の奥底で
『ザクセン洲全体をひとつの経済単位として抱え込む会社組織をつくりたい・・・』
という大きな野望をフツフツと燃やしていたからなのです!

その”大きな夢”への一歩として、あの
アウディの買収や多くの企業の取り込みがあったわけですよ。

そんな荒治療的な感じがあった買収劇も、結果として
”経済の再建と再構築ができるのはゾッパウ自動車製作所をおいて他には無い”
という評価を得る事ができたのでした。


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